マルメゾン 5

かわいい少年がマルメゾンを訪れたのは、翌日の27日の昼前だった。少年はパリの寄宿学校から後見人のモヴィエール男爵に連れられて馬車に乗ってやって来た。
 少年はなぜ学校を休んで、マルメゾンに来なければならないのか分からなかった。しかし、彼は勉強が好きではなかったから、ラテン語の書き取りをするよりは、快い初夏の風にあたりながら、馬車で遠出をするほうがずっと楽しかった。
 彼は馬車を降りると、ぴょんぴょんはねながら、館に入って来た。
「まあ、可愛い。天使のよう」
 一目少年を見るなり、オルタンスは叫んだ。
「こんにちは」
 少年は挨拶した。
「よく来ましたね」
 オルタンスは少年の頭を撫でると
「御苦労さまでした」
と男爵をねぎらい、
「不穏な気配はありませんでしたか」
とパリの様子を尋ねた。
「今のところは…」
と男爵は答えた。
「それはよかったです。朝からお待ち兼ねですから」
と少年の手を取った。
「私はここで」
 男爵はそう言ったが
「どうぞご一緒に」
 オルタンスに言われて、図書室に入った。
 ナポレオンは一人でそこにいた。
「御苦労であった」
とまず男爵に言い、少年の方をみて
「こんにちは」
と手を差し伸べた。
「こんにちは」
 少年は手を握った。
「レオンだったね」
「はい」
「いくつになったかな」
「九歳です。もうすぐ十歳になります」
「ほう、もうね。背が高いね」
「のっぽのレオンと言われることもあるんです」
「ほう、そうか。おじさんと背比べしてみないか」
 ナポレオンは立って少年の傍に言った。
「どうかね」
 男爵とオルタンスに向かって聞いた。
「レオンの方がまだ少し…」
 男爵は慎重に言葉を選んだ。
「そうか。安心したよ。でもすぐにきみはおじさんより背が高くなるだろう」
「そうでしょうね」
 少年は悪びれずに答えた。彼は今誰と話しているのか知らないのである。
「学校では何が面白いか」
「戦争ごっこです」
「ほう」
「王党派とボナパルト派に分かれて戦争するのです」
「それできみはどちらの派?」
「王党派です」
「どうして?」
「僕王様が好きだから」
 ナポレオンの顔色がかすかに変わったことをオルタンスは見逃さなかった。
 彼女は少年に聞いた。
「それはまたどうして?」
「どうしてと言われると僕困っちゃうんだよな」
 少年は急にませた口調になった。
「つまり、特別政治的な意味はないのです」
 ナポレオンの表情がゆるんだ。
「なぜかと言うならば、はじめに戦争ごっこをした時、僕は王党派のほうに入れられちゃったんですよ」
 無邪気な少年の言葉に大人たちは胸を撫で下ろした。
「それで、どちらが勝つのかな」
 ナポレオンが聞いた。
「戦いは時の運ですから」
 勿体ぶって、少年はそう言い
「でも、僕たちの戦争ごっこではナポレオン派がよく勝つのです。強い子が大勢いて…」と続けた。
「そうか、そうか、そうだろう」
 ナポレオンは上機嫌で爆笑し、
「ところで、ショコラはどうかな」
とボンボン入れを差し出した。
「大好きです」
 顔を赤らめて、少年はボンボンを掴んだ。
「そうだ。おじさんと散歩しないか。池には白鳥がいるよ」
「そうなんですか」
 少年はボンボンをポケットに入れて、ナポレオンに従った。
「よかった」
 芝生の上を仲良く歩いていく二人を見ながらオルタンスは呟いた。
「皇帝のお幸せそうなこと」
「そうですね」
 男爵も言った。
「御苦労でした」
 二人の後ろで声がした。振り向くとレティツィアがいた。
「本当によかった。やっぱりあの子はナポレオンの子だったのね」
「そうですね。間違いありませんわ」
 オルタンスは答えた。
「でも、今はまだそのことはあの子には知らされない。時が時だけに」
「そうですね」
 男爵とオルタンスが答えた。
 レオンを産んだのはエレオノール・ド・ラ・プレーニュであった。テュイユリ宮殿の一室で皇帝は彼女と性的交渉をもち、彼女は妊娠し、レオンが誕生した。
 彼女はカンパン女史の寄宿学校の出身で、夫人の推薦でカロリーヌの読書係になったのだった。カンパン女史はマリー・アントワネットがオーストリアから王太子妃として輿入れしてきてから、ヴェルサイユ宮殿で王太子妃の読書係を務めていた才媛だった。革命後女子の寄宿学校を開き、革命政府要人たちの子女の教育を行っていた。
 革命以前は嫁入り前の良家の子女は修道院で教育を受けていたのだが、カンパン女史の学校は宗教色がなく自由な雰囲気で家政教育を行っていた。ナポレオンがジョゼフィーヌと結婚した時オルタンスが入っていたので、ナポレオンは妹のカロリーヌを入学させたのであった。彼はカンパン女史に女学校の設立を提案し、女史は後にナポレオン軍将校の子女の教育を行う学校を作った。公立女学校の先駆的存在であった。
 レオンは頭の形、口元、目がナポレオンそっくりだった。しかし、ナポレオンは彼が本当に自分の子であるかどうか疑いを持っていた。それには理由があった。エレオノールは一度結婚していて、夫が結婚後二箇月で文書偽造で逮捕されたので、離婚を決意してナポレオンの妹カロリーヌのもとで秘書として働くことになり、テュイユリ宮に入ったのだった。一応はカロリーヌの読書係という名目ではあったが、そういう役職にふさわしい教養の持ち主ではなかった。セクシーな美女で、ナポレオンよりも先にカロリーヌの夫のミュラとも性的関係があった。カロリーヌは夫と彼女の関係を裂くために、彼女をナポレオンに結びつけた節がある。
 ナポレオンの側の理由として、それまでナポレオンの子供が生まれていなかったということがあった。彼が熱烈に愛した妻のジョゼフィーヌには結婚後何年たっても子供が生まれなかった。彼女は前夫ボアルネ男爵との間には二人の子供が生まれているから、ナポレオンは自分の方に欠陥があると思いこまされていたのだ。
 エレオノールはナポレオンとベッドにいる間に足の指で足元の時計の針を進めてナポレオンを追い出したという逸話が語り継がれている。三十五歳の皇帝は、十九歳の快活な美女を濃厚に愛したのであったろう。ナポレオンはなにごとも迅速を旨としていた。食事は十分か二十分で終えたと言われるし、セックスにも時間をかけることを好まなかった。だから、この逸話はエレオノールに対する皇帝の執心の深さを物語るものであると同時に彼女が皇帝をうとましく思っていたことを知らせる。
 1806年12月13日、レオンは誕生した。
 その時ナポレオンはプロイセン軍に壊滅的打撃を与え、大陸封鎖令を発し、ロシア軍を撃つためにポーランドにいた。エレオノールは美しく、陽気で、愉快な女性ではあったが、軽率で、レオンを育てる気はなかった。彼女は一年後に再婚して、二度目の夫が戦死すると、バイエルン人の伯爵と結婚した。
 ナポレオンはエレオノールと性的交渉を継続して持ったことは確かだったから、出生後すぐにレオンに年金を与え、乳母に預け、モヴィエール男爵を彼の後見人として、養育を頼んだ。
 レオン誕生直後の1807年1月1日ナポレオンはポーランド人のマリー・ワレフスカと会い彼女を熱烈に愛するようになった。1809年4月オーストリアとの戦争が始まってから、ウイーンのシェーンブルン城で一緒に過ごしたのだ。彼女が妊娠したことで、ナポレオンの考えは変わった。マリーは三箇月間ずっと彼のもとにいて、その間他の男性とは全く接触しなかったから子供はまちがいなく彼の子だった。子作りに自信を得た彼は、後継者をつくり、ナポレオン王朝を存続させるために、ジョゼフィーヌに有無を言わさず離婚したのである。
 ナポレオンはフランスを離れる前に、もう一度レオンに会って、彼が自分の子かどうかを確認しておきたかった。
 レオンがモヴィエール男爵とパリに帰った後、ナポレオンはオルタンスに聞いた。
「レオンをどう思ったかね」
「間違いありません。だってお顔がローマ王そっくりではありませんか」
「やっぱりそう思ったかね。私もそう思ったよ。しかし、母親がああいう風だから、立派な人格者に育つかどうか、その点が心配だ。アメリカで落ち着いたら、レオンを呼び寄せて、私がしっかり育てよう」
 ヨーロッパを兄弟の力を借りて征服したナポレオンはアメリカで一族の次の世代とともに新しい成功をかちとるつもりになっている。